児童数の推移と開校当時の様子
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  • 児童数の推移など
    • 本校の児童数及び学級数の推移
       開校当時は児童数389人、11学級のスタートでしたが、昭和49 年には児童数が1,668人、43学級となり、ピークを迎えました。この時期九小はマンモス校と呼ばれ、今の体育館や正門を出た場所に、プレハブ校舎が建てられていました。当時の運動会は、児童・保護者合わせて約4,000人が校庭に集まり、現在では想像できないほどの規模で行われていたそうです。
          

    • 秋の鈴天フェスティバル
       このお祭りは九小がマンモス校と呼ばれていた頃、「地域の人や子どもたちに楽しんでもらいたい」、「人と人とのつながりを大切にしたい」という、商店街の方々の願いから行われるようになったそうです。小さな子たちのための金魚のつかみどりや誰でも参加できる盆踊りは、昔から行われているイベントです。
       商店街のみなさんが、地域や子どもたちへの願いを込めて作り上げている温かく素敵なお祭りに、これからも積極的に参加していきたいと思います。

  • 開校当時の様子
    • 九小ができたころ
       問題です。この写真は何小学校でしょうか。答えはもうおわかりですよね。そうです。昭和40年、開校当時の小平九小です。見て気付くと思いますが、九小は最初、南校舎だけで、その後北校舎ができました。今とはだいぶ、景観が違いますね。九小の周りの環境も大きく変化しています。
       九小が開校したのは昭和40年4月。小平団地の建設に伴い、三小の分校として建設されました。開校当初はプール、体育館はなく、マット運動を校庭で行っている写真も残っています。校歌や校章も開校の年に作られ、校章は、「九小の子が菊の香のように気品高く、個性豊かな子であるように」という願いを込めて、定められました。
       
       開校当時の南校舎(左は北から、右は西から撮影されている)
       
       北校舎最初の増築工事(左は昭和41年2月、右は同3月に撮影されたもの)

       本校の校章 9枚の菊の花びらがデザインされている。

    • 鈴天通り商店街
       今からおよそ50年前、鈴天通り商店街周辺の様子は、平屋の住宅が多く、道路は砂利道、高い建物はなく、商店街から富士山や青梅街道、そして九小がよく見えていました。また、近隣には、鈴の木台住宅、日生住宅があり、昭和38年〜39年頃には、「あけぼのパン(株)」や「(株)パンピー食品」が設立され、その付近で暮らす人々が増加していました。しかしながら、近所にはスーパーやお店がほとんどなく、人々は買い物に不便を感じていました。
       この頃の商店街は、ウナギ屋、酒屋、豆腐屋、八百屋などの四店舗ほどでしたが、徐々に店舗数を増やし、昭和40年代後半には、魚屋、肉屋、牛乳屋など合わせて60軒以上にもなりました。人々の生活を支える重要な商店街として、大きく発展していったのです。夕方になると、パートを終えたたくさんの主婦の方たちが、買い物をして賑わいました。
       また、この頃、忙しくてなかなかお店を休めない店主たちは、妻や子どもたちのために何か後に残していけるような楽しみをつくりたいと考え、あることを決めました。
       「盆踊り」と「子どもみこし」です。最盛期には、1,500人ほどの人が盆踊りに集まり、盛大に行われました。
       子どもみこしは、浅草のみこしを手本に自分たちで作り、九小の子どもたちが担いでいました。
       当時の店主たちの温かい思いから始まった盆踊りと子どもみこしは、9月中旬に行われる秋祭りとして、今も継承されています。毎年、新しい取組が催され、大勢の子どもたちが楽しみにしています。今年もぜひ行ってみてください。